落穂拾い ミレー

1856年から57年にかけて、ミレーは貧窮のどん底にあり、一時は自殺も考えたという。そういう時期に描かれたのが、この作品である。落穂拾いとは、刈取りの終わった畑に落ちている糧を一粒一粒拾っていく作業のことで、最も貧しい農民が行うつらい労働であり、それを取り上げたミレーの作品は、政治的プロパカンダの意味合いをもつのではないかと評されたのも無理はない。また、この人物は畑に立っている案山子だとまで酷評された。ミレーは、自分は評論家ではないし、ただ自分が見た情景を率直に描いただけであると答えている。しかし、光と影によってみごとに縁取りされて彫刻のように浮かび上がる人物像と、<仕事に出かける人>や<種蒔く人>でも見られなかったコントラスト的効果を持つ背景の処理などに、ミレーの卓越した技量が見て取れる。近景と遠景といった単純な対比だけを見ても、そのリアリティーの素晴らしさには驚嘆させられる。

 

ミレーは「似顔絵」かきとしての肖像画家から脱皮し、自分が踏みしめている大地やそこに汗して働く農民の姿を見据えて、自らも土まみれになりながら、農民画家として実在感ある人間像を描き上げた。

 

ジャン=フランソワ・ミレー 1814年~1875年

「私は、農夫のなかの農夫である」